復活の主日 2017.4.16

「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに・・・」(ヨハネ20・1)

本日のミサは祐川神父様、佐藤神父様、朴神父様の3人で執り行われました。

佐藤神父様は月寒教会の助任司祭としての最後のミサになります。わずか7ヶ月という短い期間での司牧でした。佐藤神父様、ありがとうございました。そして、韓国の朴神父様が協力司祭として赴任されました。朴神父様、どうぞ、よろしくお願いいたします。

佐藤神父様の説教をお伝えいたします。

 

第一朗読:使徒たちの宣教(使徒言行録10.34a、37-43);イエスが死者の中から復活した後、わたしたちはイエスと一緒に食事をした 

答唱詩編(詩編118.1-2、16-17、22-23);今日こそ神が造られた日、喜び歌えこの日を共に。 

第二朗読:使徒パウロのコロサイの教会への手紙(コロサイ3.1-4);上にあるものを求めなさい。そこにはキリストがおられる 

福音朗読:ヨハネによる福音(ヨハネ20.1-9);イエスは死者の中から復活されることになっている

 

『ご復活おめでとうございます。

古いものは過ぎ去り、新しいものが来ました。

わたしも昨年9月11日に月寒教会に来てから、7か月が過ぎました。

わたしは過ぎ去り、朴神父様が来ました。

わたしはまた新しいところへ行きます。

と言っても、一番近いところに住みますし、事務局にいるのでたびたび会うことになると思います。

ご心配なく。

そして、朴神父様をよろしくお願いいたします。

わたしはまだ司祭になって1年たっていませんが、朴神父様はもう10年になっています。

日本語が上手になったらわたし以上に経験を生かして司牧宣教してくださると思います。

ミサの後に歓迎会がありますので、朴神父様のお話をいろいろ聞いてください。

 

さて、今日は復活の主日の日中のミサです。

復活の主日は復活徹夜祭と日中のミサと夕刻のミサの3つがあります。

その中で夕刻のミサが行われることはまずありません。

北一条教会で日曜日の夕方にミサがありますが夕刻のミサを行っていると聞いたことがありません。

このミサがあるといいなと思います。

というのはこのミサの福音朗読がエマオへの道の朗読だからです。

復活の主日の夕方に朗読されるには最適な個所ではないでしょうか。

この個所はルカによる福音24章13節から35節という長い朗読ですが、復活の水曜日と復活節第3主日にも読まれます。

今日読まれなくても、ほかの日に朗読されるので皆さんの心に残っていると思いますし、絵画などで印象的に心に残っていることでしょう。

 

マグダラのマリアは墓の石が取りのけられているのを見て、ペトロとヨハネのところに行き、報告しました。

それぞれ、ユダヤ人をおそれて別のところに隠れていたのだと思われます。

ヨハネの福音ではマグダラのマリアだけが描かれていますが、他の福音書では彼女に限らず、婦人たちの行動力に驚かされます。

女性に促されて男性が動かされるのです。

ペトロとヨハネは墓の中を見て、ペトロとヨハネはイエスにまかれていた布が巻かれたままの状態であるのを目にしました。

ここの翻訳「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった」とあります。

これを、神学校のギリシャ語の先生神父は誤訳であると言っていました。

丸めてあったのではなく、遺体を包んだ状態のままであったというのが正しいと言っていました。

つまり、イエスは復活した時には、布をほどくこともなく別の仕方で体の復活があったのだということを福音記者ヨハネは言いたかったのだと言っているのです。

もちろん、復活のイエスは時間も空間も自由ですから、そうできたでしょう。

わたしもその説はいけるんじゃないかと思います。

しかし、ここは信仰とは関係ありませんからそれぞれが考えればいい問題だと思います。

 

わたしたちにとって大事なことは、キリストとの出会いがあったかどうかということです。

キリストは人々との出会いの中におられるのですから、いろいろな人々との出会いの中で少しずつキリストがおられると思います。

その時に気づかなくても、イエスは皆さんに近づいておられます。

わたしの決定的なできごとは母と父の死においてキリストと出会ったことです。

そのときに出会っているのです。

自分が病気で体がままならなくなった時にはじめて、その苦しみを理解できるように、キリストとの出会いはそういう時に起こるのです。

ちょっとした段差に健常者は気づかないでしょうが、自分がそうでなくなった時、

例えば車いす生活を送らねばならなかったとき、あるいは目が見えなくなった時にそういう人の苦しみを味わうときにキリストとの出会いがあるのです。

車いすで段差を乗り越えられないときにさっと押してくれる人、目が見えなくなって苦労しているときに案内をしてくれる人と出会ったときに、その人はキリストなのです。

 

キリストはいつもわたしたちのそばにいてくださるのだという確信を感じることが大事なのです。

「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」

わたしたちはすべて理解しているわけではありません。

まだすべてを信じているわけでもないでしょう。

しかし、わたしはイエスの復活を信じているし、周りの人を通して復活したイエスと出会ったし、司祭召命を感じてイエスに導かれたと思っています。

わたしが受けたイエスの復活は皆さんと分かち合わなければならないし、伝えていかなければならないことだと思っています。

月寒教会を離れますが皆さんの信仰とともにわたしも新天地でキリストの復活を証ししていきます。

みなさんもイエス・キリストの福音を伝える義務があります。

それは、御言葉を直接伝えるだけではなく、自らの行いによって伝えていくことができることです。

この復活信仰を信者全員が伝えていくことができるよう願います。』

 

カトリック月寒教会

2017年4月16日(日)復活の主日・日中のミサ(祭・白)

司祭 佐藤謙一