年間第7主日 2017.2.19

「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ19・18)

本日のミサの司式は佐藤謙一神父様です。説教の一部をご紹介いたします。

 

『あなたがたも完全な者となりなさい」というイエスのことばがあります。
そんなことは無理だ、できない、とんでもないと思うかもしれません。
しかし、わたしたちは完全な者となるよう召されているし、第一朗読にあるように「聖なる者となりなさい」とも言われています。
これはキリスト者となったわたしたちに求められているばかりではなく、キリスト者となった者には神がそのように変えてくださるという信頼もあるわけです。

神学校に入学した時に、なんでこんな人が司祭になろうとしているのかと思ったことがあります。
朝は起きてこないし、ミサもよく欠席するし、一緒に掃除をするときにも来なかったり、どうでもいいことに関して自分の主張を強要したりします。
本当に様々な人がいます。
ある意味教会の縮図と言えるかもしれません。
神学校といっても選ばれた聖人ばかりがいるところではないのです。
そういう人間の集まりですが、神はどんな者にも同じように恵みを与えださいます。
その時に、恵みを受ける人間がどのような態度なのかということが問われるわけです。
だからそのような人々に対して、どうか神の恵みに気づいてくれるようにわたしたちに祈りなさいと言われるわけです。
神の愛に気づくことができるように祈りましょうと言われているのです。

神学校で神の恵みに気づいていく人は変わっていきます。
気づかない人は辞めていきます。
一緒に生活していく中で、神の恵みに気づかせていくことが神学校の中では求められます。
「心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。」というレビ記の言葉がありますが、難しい。
「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」というのも難しい。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」というのも難しい。
神の呼びかけに応えて神学校に行く人でも難しいのに、皆さんはいかばかりかと思うかもしれません。
ですが、難しさは同じなのです。
大事なことは、神の無条件の愛がいつもわたしたちの上に注がれていることなのです。
「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」
わたしたちを支えるのはこの言葉です。
人生の歩みの中で、神の恵みに気づかなかったり、反したことがあれば、悔い改めて神に心を向けてゆるしの秘跡を受けるという恵みがカトリック教会にはあります。
病に苦しんでいるときには、神の恵みの見えるしるしとして病者の塗油の秘跡があります。
小さな罪の状態にあってもご聖体をいただいて、励まされ、また力強く歩んでいくことができます。
そういう目に見えるしるしとしての神の恵みが教会にはあるのですから、積極的に受けていただきたいと思います。
神学校に行く前の普通の信徒だった時に、そのような秘跡を受けるのが自分にとってふさわしくないとか司祭の手を煩わして迷惑なのではないかと思っていました。
しかし、そんなことはなく、大いに司祭の手を煩わしていいのだということが分かりました。
ゆるしの秘跡はいつ受けてもいいですし、病者の塗油も何回受けてもいいですし、ご聖体も毎週受けていいのです。
葬儀は人生で一回だけですから大いに司祭を通して神の恵みを受けるようにしてください。

今日の3つの聖書朗読は非常に似た個所で互いに関連しています。
まさしく父が子どもに言い聞かせるようなものです。
やさしく何でも与えるだけではなく、悪い点をあらためさせるためにしかる必要もあるということです。
それと同時に「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」というレビ記の言葉にあるように、お互いのよさを認め合うことも求められているのです。』