年間第6主日 2017.2.12

「わたしが来たのは律法や預言者を・・完成するためである」(マタイ5・17)

本日のミサ司式は佐藤謙一神父様です。説教をご紹介いたします。

 

『“教会は司教の中にあり、司教と共にある者が教会で ある”というカトリック教会の教会論があります。

それは正しいことなのです。

カトリック教会の聖職位階制度を、あたかも少数の権威者たちによる教会支配のように見るのは、プロ テスタント的偏見といえるでしょう。

司教が教会であり、司祭は単なる奉仕者であるというのは極端に思えるかもしれませんが、信徒のための奉仕者であるという意味では間違いありません。

司祭は司教に仕える者なのです。

司教に派遣されてふさわしく司祭としての職務を遂行していくのです。

 

ところで、カトリック教会のすべての信者は、今も教皇および司教たちが正しく使徒的福音を宣教しているかどうかを、批判的に監視する健全な信仰によって、歩む必要があります。

勝谷司教の年頭司牧書簡を見てみましょう。

「建物に頼らない共同体とは」という提言がありました。

月寒教会にとしては維持管理が難しいということはないのであまり真剣に考えてなかったという面があると思います。

勝谷司教は「教会維持の負担をそれぞれの小教区ではなく、大きな教会を含めた地区で担い、

単なる維持のためではなく宣教のための拠点として地区全体が地方に責任を持つ体制も求められている」と述べています。

札幌地区の東ブロックは比較的広い地域です。

わたしたちは月寒教会、小野幌教会、大麻教会、江別教会、岩見沢教会、月形教会、北広島教会、恵庭教会、千歳教会を考えていかなければならないのです。

その中で宣教のための拠点として何ができるのかを考えていかなければなりません。

月寒教会単独でどうかというのではない宣教活動が求められているのです。

札幌地区以外では緊急の課題となっているので進んでいるのですが、札幌では各教会で何とかなっているという状況なのであまり考えられていません。

今は司祭もたくさんいるし、あまり危機感はありません。

10年後、何人の協力司祭がなくなっているでしょうか。

亡くならないまでも司祭として働けるでしょうか。

10年後90歳を超える司祭は5人います。

80歳を超える司祭は3人います。

 

勝谷司教は百周年式典の訓話で言われたことを年頭書簡の中で伝えています。

「何もしないところからは何も起きません。

また、意外なところから未来への展望を開くうねりが生まれるかもしれません。

神はいつも人間の思惑を超えて働かれるからです。」

 

さて、今日の福音は山上の説教の続きですが、先週と先々週の福音と趣が違います。

先週とその前はわたしたちに対する祝福の言葉が述べられていました。

「心の貧しい人は幸い」。

あなたがたは「地の塩」「世の光」である。

今日の朗読個所は一転して戒めを述べています。

 

わたしたちが自分があらゆる義に対して無能力であり、いつも神に逆らってばかりいる罪人であることを示されています。

まさに神の律法が語られるところで、わたしたちは自分が天使のような者ではなくて、徹底的に罪の下にある(ロマ 3:9)ことを知らされるのです。

 

イエスが望まれる義は、形式主義ではなく、神の心です。

神との関係を大切にして生きる姿勢、神の心を大切にする姿勢のことです。

神の支配は自由に神の心を受け入れることからはじまります。私たちの根本的姿勢が問われるのです。

 

いろいろな戒めが今日の福音で宣べ伝えられました。

それぞれの思いの中でその福音が伝えられたかと思います。

律法をについて

腹を立ててはいけない

姦淫してはいけない

離縁してはいけない

誓ってはならない

 

どの戒めも難しいと感じるところがあると思います。

人間はそういうものです。

それをどう克服していけるのかということが問われているのだと思います。』

[地区集会]

地区集会(4地区)が行われました。信徒同士の交流をするにはどのような方法があるかなどを話し合いました。