主の降誕 (日中のミサ)

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」(ヨハネ1・14)

ミサ

主のご降誕おめでとうございます。

本日も祐川神父様と佐藤神父様の共同司式です。祐川神父様の説教をご紹介いたします。

 

『主のご降誕おめでとうございます。

 

<言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。>ヨハネによると、このことがキリストの誕生であると。神が人となられてわたしたちの内に住まわれた。

昔、フィリピンの山奥で飛行機を見た子どものお話。どうやって飛行機に乗るんだ?と質問された。大丈夫、飛行機は地上に降りてくるから。ジャンプしなくとも良いのだ。神もわたしたちがジャンプしなくとも降りてきて下さった、キリストの誕生という形で。

色々な作家が書いています。どうしてそうなったか・・一言で言うと愛がそうさせたのだと。愛は不可能と思われる人間と神とのボーダーを超えることができた。その光は真の光で全ての人を照らす。

暗闇は光を理解しなかった。光となって全ての人を照らすのです。

昨日、<闇に住む民は大いなる光を見た。>と読まれました。真っ暗闇の中を、絶望の中を歩いていた、その中で光を見いだしていった。

 

ナチスドイツに捕まったヴィクトール・フランクルのお話。「朝早い明け方の風景は灰色で、服も顔も灰色。全てが灰色の中で地平線が彩られた。ゆっくりと進行している死。」その中で希望を見いだした時に書いています。「はるか遠くの農家の家の光を見て、一つひとつ本来の色が見えてくる。何か意味があるのだ、絶望の中に希望が、絶望の中に一縷の希望が生まれた。一つひとつの輝きを取り戻した。暗闇の中の一縷の光、小さな光だが大きい希望となっていく。

 

ヨーロッパに流れている難民たち。阻止しようとする人々。混沌とした中でどう生きていくのか。居場所のないところでお生まれになったキリスト。居場所のない人たちを見てどう感じなければいけないのか。クリスマスの意味は本当に伝わっているのか。クリスマスは甘い甘美な愛の記念日ではなく、本当に愛と光を必要としている人に分けているのか。キリストの光を受けて、暗闇の中にいる人々にどう運んでいくのか。すぐ近くの暗闇の中にいる人々に、キリストの弟子として、キリストの光を反射させる。聖体をうけてキリストの身体をうけてキリスト化されて派遣されていく。キリストのミサは派遣という意味があります。飼い葉桶の中にいる乳飲み子を見つけた。暗闇にいる人を見つけた時、そこにはキリストがおられます。そのことをクリスチャンとして、またクリスチャンでなくとも、クリスマスの意味を自分たちの文脈の中で考えていけますように。アーメン。』(説教の一部を抜粋)

クリスマスパーティ

昨夜に引き続き、西岡地区の皆様が用意して下さった軽食で小さなパーティが行われました。

祐川神父様のリクエストにより、オーデルマット家の総勢10名で「マリアさま」の歌を歌って下さいました。

久しぶりに集った8人兄弟姉妹とご両親による合唱。

素敵な歌をありがとうございました!!