無原罪の聖マリアの祭日 2016.12.8

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)

本日は「無原罪の聖マリアの祭日です。佐藤謙一神父様の説教をご紹介いたします。

 

『あわれみ深い神は、イエスの受肉に先立って、イエスの母となるマリアに承諾をとることを望まれました。

それが今日の福音で読まれた受胎告知です。

創世記でエバという女性が死をもたらす原因となったのと同様に、マリアという女性がいのちをもたらす役割を果たすために神は選ばれたのです。

キリスト教の初めのころの教父たちの間では、神の母が聖霊によって造られ、新しい被造物に形づくられた者として、

完全に聖なる者、あらゆる罪の汚れを免れた者と呼ぶ習慣が広まっていきました。

 

自分自身の存在の最初の瞬間からきわめて聖なる者として輝き、神の命令によって天使から「恵まれた方」というあいさつを受けたナザレのおとめは

天のみ使いに「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と答えました。

アダムの娘であるマリアは、神のことばに同意してイエスの母となり、いかなる罪からも守られ、心から神の救いの御心を受け入れました。

そして主のはしためとしてご自分の子とその働きに完全に自分をささげ、子のもとで子とともに全能の神の恵みによって、あがないの神秘に奉仕しました。

したがって、マリアが単に受動的に神に用いられたのではなく、自由な信仰と従順をもって人類の救いに協力したと、教父たちが考えているのは当然のことです。

聖イレネオという教父がいました。

マリアは「従順によって、自分と全人類のために救いの原因となった」と述べています。

古代教父のうちの多くの者が説教の中で聖イレネオの言葉を引用しています。

「エバの不従順のもつれがマリアの従順によって解かれ、おとめエバが不信仰によって縛ったものを、おとめマリアが信仰によって解いた」と好んで話されました。

 

このエピソードを読んだとき「結び目を解くマリア」を思い出しました。

これはもともとドイツで始まった信心ですが、教皇フランシスコが教皇になる前にドイツの神学校で教えていた時にこの絵を見て心を打たれ、

この絵はがきを作り、母国アルゼンチンで配っていたそうです。

16世紀のドイツで離婚の問題で悩んでいた男性がある司祭のところに相談に行きました。

当時のドイツでは結婚式の時に生涯添い遂げることを象徴的に示すため、リボンで新郎と新婦のそれぞれ片方の腕を一つに結ぶ習慣がありました。

その男性が持ってきたリボンはもう複雑に絡み合っていました。

その司祭はこのリボンを受け取り、結び目を解きながら聖母マリアに熱心に祈りました。

するとその男性の願いは聞き入れられ離婚を避けることができ、生涯幸せな結婚生活を送ることができたのです。

この男性の孫が1700年に画家のヨハン・シュミットに依頼して書かれた絵がこの「結び目を解くマリア」の絵です。

のちに教皇フランシスコとなるベルゴリオ神父はこのマリアに祈ることをアルゼンチンはじめラテン・アメリカ全体にそして世界中に広めていったのです。

神学校でもらったときに、「自分はもう結婚できないのになぜ離婚問題解決の聖画をくれたのか」と疑問を持っていました。

今はそういう方々のためにわたしが祈らなければならないからだと納得しました。

 

お告げの時に忠実にこたえ、十字架のもとでもゆるぎない同意から始まって、選ばれたすべての者の永遠の完成に至るまで、聖母マリアの役割は絶えることなく続きます。

マリアは天に挙げられたのちも、この救いをもたらす務めをやめることなく、かえって数々の執り成しによって、わたしたちに永遠の救いのたまものを得させ続けています。

まだ旅を続けているわたしたちと、危機や困難の中にある兄弟たちが、幸せな神の国に至るまでも、マリアは母としての愛をもって守ってくれています。』