王であるキリスト 2016.11.20

「わたしたちは、この御子によって、購い、すなわち罪の赦しを得ているのです」(コロサイ1・14)

ミサ

本日のミサの司式は佐藤神父様です。説教をご紹介いたします。

 

 年間の最後の主日にあたる今日、わたしたちは「王であるキリスト」を祝います。

 

ルカ福音書では一緒に十字架につけられた犯罪人たちのうちの一人が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言っています。

マルコやマタイ福音書でも二人の強盗たちが一緒に十字架につけられますが、どちらもイエスをののしったとあります。

回心する犯罪人を登場させるのはルカだけです。

ここに苦しむ救い主とすべての人々に対する神のあわれみを記しているルカ文書の特徴が表れています。

 

この犯罪人は自分もイエスもこの十字架上で死ぬことはわかってます。

この世での命が終わることが分かっています。

そして、「あなたの御国においでになるときには」と言っていることからイエスの王国が死を越えて実現するということを信じていると考えられます。

そこで「わたしを思い出してください」と願っています。

これはわたしたちの信仰の核心ではないでしょうか。

この犯罪人の姿こそがわたしたちキリストを信じる者の姿なのだということです。

わたしたちはみな各自それぞれ自分の十字架を背負って生きています。

その中でもがき苦しんで生きています。

人生の最後に至るまで「イエスよ、共にいてください」と願うことが大切なことだと教えているのです。

 

イエスの返答ははっきりしています。

「はっきり言っておく」という言葉をよく目にしますが、これは「この世の人々はこうであると言っているがわたしは違うとはっきり言っておく」ということです。

みんなはそうは思わないだろうがわたしは次のようにはっきり言うということです。

「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とイエスは断言されました。

楽園とは、神と人とが共に暮らすところであり、人と人とが調和に満ちた世界だと言ってもいいでしょう。

創世記2章に描かれるエデンの園がまさしく楽園です。

エデンの園に神がアダムを連れてきてそこに住まわせ、そこを耕し守るようにされました。

そしてアダムから女を造り一緒に住まわせました。

神と人々が一緒に暮らすところが楽園というわけです。

しかもそこにいるのが「今日」なのです。

「今日あなたはこの世の生を終えるが、すぐにわたしとともに楽園にいる」ということをイエスは言っています。

素晴らしい励ましの言葉です。

わたしたちの祈りがどうあればいいのかがここに示されていると思います。

「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」と言いましょう。

 

イエスに願い求めると同時にわたしたちがしなければならないことがあります。

それはその前の言葉です。

もう一人の犯罪人が議員たちや兵士たちと同じ言葉を放った後です。

「メシアなら自分自身と我々を救ってみろ。」

この言葉に対して、「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」ともう一人の犯罪人は弁護しました。

わたしたちキリスト者が神にゆるしを願うと同時に、神への信仰を証しすることが求められるということを表しています。

 

この回心した犯罪人のようにイエスを証しし、イエスと共にいてくださるように願いながら、王であるキリストの祭儀を祝ってまいりましょう。』