年間第32主日 2016.11.6

すべての人は、神によって生きている」(ルカ20・38)

ミサ

本日のミサの司式は佐藤神父様です。説教をご紹介いたします。

 

人間は未来に向かって生きています。

過去を振り返ることはありますが現在という瞬間に生きながら未来に希望をもって生きていきます。

キリスト者が考える究極の未来は何といっても天国、天の国、神の国でしょう。

しかし、それは死の後にあることなので、生きている間はそこに行くことはできません。

 

第一朗読で7人の兄弟とその母親の殉教の出来事が読まれました。

迫害に会う彼らがどのように生ききるのかということが描かれていました。

「世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ。」

「たとえ人の手で、死に渡されようとも、神が再び立ち上がらせてくださるという希望をこそ選ぶべきである。」

彼らの確信していることは復活の希望です。

神が苦しむものを捨て置かれることはないという信仰です。

死を越えて神が救いを与えてくださるという希望です。

その希望をイエス様はご自身の死と復活によって完成させてくださいました。

 

復活に関連して、イエスはこの世と次の世の有り様の違いをはっきり指摘しています。

この世では神から与えられた命を抱きながら生きていきます。

神の恵みを受けながらも、様々な困難にぶつかります。

喜びもあるけれども苦しみもある。

さて、次の世、つまり復活の命とはこの世の延長線上にあるのではなく、神によって立ち上がらせられた命なのです。

神によって生きるという次元なのです。

このときこの人々はもはや死ぬことはないし天使に等しいものであり神の子であるのです。

なんという励ましの言葉でしょうか。

希望をもって信じることの素晴らしさが示されています。

 

イエスは最後に「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と言っています。

これはこの世を去った者とまだ生きている人という意味ではありません。

神のみ旨に生きていない者、それは生きていないのだから死んだ者であり、形だけの信仰をする者です。

自分のためだけに生きる人と言ってもいいと思います。

死んだ者の神は本当の神ではありません。

神のみ旨に生きている人、それは神の御心にかなうことを行う人であり、他者の中にキリストを見ることのできる人です。

他者のために生きることのできる人です。

そういう意味で生きている者の神こそ本当の神です。

神のみ旨を行い亡くなった人々はすべて、神のみもとで永遠の命を得て生きているのです。』