年間第30主日 2016.10.23

「今や、義の栄冠を受けるばかりです」(二テモテ4・8)

ミサ

本日のミサの司式は佐藤神父様です。説教をご紹介いたします。

 

『さて、今日はファリサイ派の人の祈りと徴税人の祈りが描かれています。

ファリサイという言葉は分離するという意味の言葉から来たといわれています。

つまりファリサイ派の人たちは律法を知らないけがれた人々から自分たちを分離した者であると考えました。

徴税人はユダヤ人でありながら、ローマ帝国の税金徴収という仕事を引き受けていました。

その仕事で富を得ていた人たちです。

ユダヤ人でありながらローマ帝国の手伝いをする裏切り者と思われていたのです。

この二人の態度が神に受け入れられるものかどうかということです。

ファリサイ派の人は律法を守らない者、不正を犯す徴税人のような者ではないことを感謝しています。

しかし本当にしなければならないことは律法を守らない者には律法を教え守るよう導くべきでしょう。

不正を犯す徴税人にはユダヤ人に不正を働かず正しく徴収するよう働きかけるべきでしょう。

ここに出てくるファリサイ派の人は自分が律法を守っていればそれでいいという考えです。

確かに週に二度断食するとか、全収入の十分の一をささげることはいいことでしょう。

しかし他人に対する優しさがありませんでした。

徴税人はただ自分の罪を悔いて、神に罪びとのわたしを憐れんでくださいと言うだけです。

いろいろな不正によって富を得ていたということを悔いているのかもしれません。

自分の罪を悔い改めることによってこれから不正を働いた人々に取りすぎた分を返すかもしれませんし、不正をしないようになるかもしれません。

 

来週の福音では徴税人ザアカイが出てきます。

ザアカイは立ち上がって、主に言った。

「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。

また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

 

わたしたちもどう祈ればいいか知らなかったとき他人と比較して優越感をもってする祈りをしていたかもしれません。

しかし、わたしたちはこの徴税人のように悔い改めから始まる祈りを今はしています。

少なくともミサの初めで回心の祈りを通して悔い改めをしています。

他人との比較をしているだけでは神とのかかわりを妨げてしまうだけでなく、人との関係も絶つことになるのです。

周りの人がすべて競争相手という世の中にあって、このようなキリスト教の祈りは大切なものでしょう。

第二バチカン公会議以前のミサでは、この回心の祈りは司祭と侍者しか唱えていませんでした。

いまではそれを全員で唱えることができるようになったのです。

「神様、罪びとのわたしを憐れんでください」という祈りからいつも始めていきましょう。』

 

 

合同墓参