年間第22主日 2015.8.30

「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい」(マルコ7・14)

今日は8/29(土)。明日のバザー準備のため主日のミサに出られない方のために4週間ぶりにイースタービレッジから帰国された祐川神父様によって執り行われました。


『スコットランド出身のウィリアム・バークレーという聖書の注釈を書いている方が、一人のラヴィについて記しています。そのユダヤ教のラヴィはローマの牢獄に入れられていましたが脱水症状にかかっていました。原因は食事の前、祈る前に1日の飲料全てを使ってしまっていたということが分かりました。このことはなぜ、ファリサイ派や律法の専門家が言い伝えにこだわるのかを説明するものであります。


モーゼの律法は口伝で伝えられているもの。特にモーゼ5書に神の律法が書かれている。律法として大事ではあるが少し規範的なものが多かったが、具体的に生活の中でどういうふうに行うのか研究がなされて律法の専門家が生まれた、紀元前5世紀ごろです。具体的な指示として細々なことが伝えられ、そういう文脈の中でイエスに挑んでいきました。どうして、あなたの弟子達は昔からの言い伝えを守らないのか?と。


イエスは<なぜ、外面ばかり取り繕っているのか。律法の中身が忘れさられている。神様からの大事なプレゼントで中身を忘れラップだけを大切にしている>と言われました。

使徒ヤコブは<御言葉を行う人になりなさい>と言っています。 聖パウロが第2コリント3章で<文字は人を殺し、霊は生かす>と言っています。私たちの心の中に霊で刻まれている。エゼキエル4章、エレミヤ31章で新しい預言がされています。新しい契約の成就が行われている。浮き彫りにされるのは私たちの経験。あぶり出されなければいけない。あぶり出すためには聖霊の火が必要です。私たちに刻まれた神の言葉を喜んで生きる、これが新約を生きるものの私たちの発想のしかたです。


フランシスコ教皇や勝谷司教も話されているように、私たちに刻まれている神の言葉を喜んで実践して行きましょう。聖霊の働きに気づいて、日本以外の困っている人々とも同じ尊厳を味わうために一つひとつ汗を流して謙虚に喜んで明日のバザーにも参加できますように祈りたいと思います。』(説教の一部を抜粋)